研究論文は最先端の内容を扱っているが、しかし情報伝達方法は時代遅れ

中島聡さんが読んだ「The Search」(日本語訳は「ザ・サーチ」だそう。)という本の感想を読んで、彼の考える情報の価値について共感を持つ一方で、さらに価値ある情報とされている研究論文については、その伝達方法が時代遅れのため、十分な価値を発揮していないと思いました。

新聞やテレビなどの従来型のメディアから情報を得たとしても、それをe-mailで会社の誰かに伝えたり、ブログで引用したりリンクを張ったり出来ないことがものすごくもどかしく感じられるのである。仕方がないので同じ情報をネットで探して、それを引用したりしているのだが、そんなことをしているとこの本の著者と同じく「最初からネットで情報を得た方が便利じゃん」と感じてしまうのである。

あ〜、それは僕も同感。

今、Webから発信されている1次ソースとしての情報の多くは、新聞記事や個人の日記がほとんどです。これらについては、ぜひこの内容を知ってもらいたいと思って書いている内容であるし、手軽に感想を書けるWebなりブログなりの環境が整っているから、感想をきっかけに情報共有がどんどん進んでいき、元のコンテンツが感想や解説によって、よりその内容がリッチになっていく凄い状況と思います。そして、Webの1ユーザとしてはリッチになった情報を享受できる訳で、いい時代になったものだと思います。

でも、それはわりと、プライベートな領域に限られるけどね。

上で述べたような素敵な状況は、僕が生業としているリサーチにおいては、全く訪れていません。問題はいくつかあると思うので、問題をいくつかに分けてシリーズ化して考えたいと思います。今回は上の状況で言うニュースソースの入手に対応する研究論文を入手するときの壁を考えます。

今は昔と違って一部の情報はpdfファイルとして入手できるようになりました。
ただ、この「一部」というのがポイントでして、一般人にとって欲しい論文のほとんどはなかなか気軽に手に入れることができないです。その理由としては、思いつくところで2つあって

  • お金がかかる

これは、論文pdfファイルは学会にとっての商品であるとして扱われていることに問題があると思う。

こと大学など研究機関ではオープンソースとかフリーであることを素晴らしいという人が多いし、アカデミック価格(研究者は貧乏ってことか?)などに頼っている人も多いと思うけど、彼らの生業に大きく関わっている論文がフリーで扱われていないんですよね。

でも、ことに国立大学の研究者は、国から出ている研究費や給料で研究している、すなわち、我々ふつ〜の国民が払った税金から研究をしているのだから、我々納税者はお金を払わないと論文が入手できない状況は、変だと思います。

税金を使った結果できた論文pdfは全て、ただで配って欲しいものです。

  • お金をかけないようにすると、手間がかかる

上の状況のように、論文をWebからpdfで得ようとするとお金が結構かかりますので、お金をかけないようにしようと思ったら、僕ら貧乏人は図書館に行くしかありません。ただ論文っていうのは、町の図書館ですぐに手にはいるわけではありません。なんだかんだで国会図書館にアクセスが必要になります。

国会図書館さんも結構それなりに税金をかけてシステムを整えてますので、今では誌名やページを指定しておけば郵送で送ってもらえますが、どうしてもタイムラグがでてきてしまい、読みたいときに読めない訳で、どうしても気軽に、というわけには行かない状況です。

そんなわけで、上に2つほど理由を挙げましたが、研究論文というのは、最新の技術や現象について書かれている割には、伝達方法からすると、最新どころか昔からほとんど変化がなくて、お金がかかったり手間がかかったりと時代遅れだと思う。論文の入手については無償でWebから全て得られるような環境にできたらいいんだと思う。

今回は情報の入手方法についての時代遅れを指摘したけれど、次回は、論文の引用容易性について書こうかなと思います。